正直に言います。
前回まで4回に渡って平成の始まりから20年までの出来事のザザッとまとめたてみたのですが。

ちょっとだけ飽きてきたかも…
最初は「アレ懐かしい」「コレあったあった」「この時大変だったわ」とかブツブツ言いながらやってたんだけど、さすがに仕事の合間にやっていると疲れるんですよね。

家でやれよ
まあ、あと10年。
楽しみながら思い出してみましょう。
平成21年(2009年)
特に大きな変化があった年ではないんだけど、敬愛していたあの人が亡くなってしまった事が信じられなかったです。
忌野清志郎、58歳で死去
咽頭がんを患ってしまい、音楽活動の休止をしていた清志郎(あえて名前で呼び捨てさせて頂く)ですが、復帰を目指す為に放射線治療や抗がん剤を用いた闘病生活を送っていました。
一度は復帰ライブも行ったんだけど、残念なことに転移が認められている事がわかり、この年の5月に帰らぬ人となってしまいました。
ボクよりちょっと上の世代の人の方が思い入れは強いかもしれないですね。
ボクも大好きだったけど。今でも聞いてる名曲がたくさんありますよ、RC時代にもタイマーズにも。
青山葬儀所で行われたロック葬には43000人もの弔問数があって、コレは1998年に無くなったhideに次ぐ2番目の多さです。
ちなみに清志郎とhideの命日が同じだっていうのも何か不思議な物を感じてしまうのです。
裁判員制度スタート
無作為に選ばれた有権者が裁判官と共に裁判に参加する、という制度がこの年にはじまりました。
従来の裁判というのは、閉鎖された空間で司法のプロだけで行われていました。
対して、裁判員制度という仕組みは、一般市民による日常感覚とか普通の生活に基づいた常識などを反映させることによって、ある意味公平で理解の得られる裁判を行う事を目的としているのです。
ただ、基本的に指名されたら拒否する権利はない事、裁判員に対する被疑者からの恫喝や脅迫の危険性がついてまわる事、裁判に係ってしまった事による精神的な負担を軽減する手段がない事、この様な問題点は今後の課題として残されているのです。
酒井法子が覚せい剤使用容疑で逮捕
ボクが中学生くらいの時のバリバリのアイドルのど真ん中にいたんですけどね。
のりピー語は寒さしか感じられないんだけど当時はみんな熱狂的でした。
富士山にものりピーショップがあったと思います。
その後女優さんとして活躍されてはいたんだけど、この年の8月に夫が覚醒剤所持の疑いで逮捕された事をきっかけに、本人にも捜査の手が及ぶ事に。
残念ながら結果はクロ。
本人も所持、使用を認めた為逮捕される事に。
なんていうか、逃げ道なのかな、安易な方、気持ちいい方、そっちに流れちゃダメだよなって思うんです。
自分もエラそうな事言える人生を送ってきてるわけじゃないけど、オクスリはねえ、やっぱりダメよね。
その他の出来事
平成21年の流行語
平成21年のヒット商品

ツイッタ―がこの年に始まってますね

まさか自分がツイ廃になるとは思わなかったよね
平成22年(2010年)
ボクが今の会社に入って3年目。
仕事では結構大きな変化がありました。
業種外の人にはなんのこっちゃ分からないかもしれないけど、中途で入った3年目のヤツにそのプロジェクトやらせるか?ってマジで思いました。
ウチの会社そういうとこ少しオカシいんだわ、って今になって改めて思います。
割とマジで。
ワールドカップ南アフリカ大会
とりあえずワールドカップ。
今回の大会は初のアフリカ開催。
治安とか衛生面とか交通のインフラとか、色々課題は山積みだったけどフタを開けてみたら良いゲームがいっぱいでした。
ちなみに、今大会ではいろんなジンクスが破られました。
⇒スペインが優勝、準優勝もオランダで南米勢はウルグアイのベスト4があるだけ。
⇒スペインは初戦でスイスに負けてる
⇒南アフリカ、グループリーグ敗退
まあ、あくまでもジンクスなんで、破られる為にあるようなもんなんで。
そして日本代表はというと、オランダ、デンマーク、カメルーンと同グループで見事に2位通過。
ベスト16止まりだったけど数々のベストゴールも生まれました。
デンマーク戦の本田の無回転なんて鳥肌ゾワゾワってなったし。
個人的には同じ試合での遠藤の芸術的なフリーキックが大好きです。
チリ地震
この年の2月には南米のチリでマグニチュード8を超える大地震が発生しています。
日本でも結構大きく報道されたので覚えてる人も多いのではないでしょうか。
日本にも津波の恐れがあるとして注意報は流れていましたね。
今思うとこの時にもう少し正確な知識とか準備とか、そういう心構え的な事が出来ていれば、と後悔していたりも。
その他の出来事
平成22年の流行語
AKB?知ってますよ。こじはるでしょ。あっちゃんでしょ。あとうっちー(←誰だ)
平成22年のヒット商品
平成23年(2011年)
絶対に忘れてはいけない。絶対に。
東日本大震災
平成23年3月11日。
絶対に風化させてはいけない事。
ボクはその時品川のお客さんの所で商談がありました。
14時ちょっと前に終わって会社に帰ろうとして電車に乗った所、正に発車する寸前にありえないくらいの振動が車内に起きました。
最初は軽く考えていて少し待てば動くだろうくらいの気持ちでいたんですけどね。
一向に動く気配がなく。
ホームの中もエスカレーター上った改札も慌ただしかったんで、とりあえず駅構内にあがってみたら人があふれていてコレは普通じゃないぞと。
そこでやっと東北地方で大きな地震があった事がわかりました。
それでもまだ楽観視していて電車動くまでお客さんの所で時間つぶそう、なんて考えでいたのです。
それが15時過ぎの話。
お客さんの会社はビルの14階なんだけど、聞いてみたらかなり揺れたとの事。
で、16時になっても17時になっても電車が動いていないという情報がお客さんから聞きまして。
お客さんの会社の人も仕事切り上げて帰社せよとの命令が出たらしいのでボクもお暇する事に。
会社に連絡しても電話が全然繋がらなくって。
何度も何度もかけたけどウチの会社のコとは結局その日は連絡とれませんでした。
結局本社(大阪)から東京支店の全員に連絡があって、ニュースで見る限りかなりの大きな被害状況なので、当日の業務は終了させて帰宅しなさいとの事。
既にその時点で品川駅周辺は人が物凄くて、当たり前だけど電車は動く事が不可能で。
腹くくって歩いて帰る事にしたんです。
ボクの家は品川から20キロ以上。
しかも人が多すぎて方向も良く分からない状況でした。
今思うと最初の2択が合っててよかったなって思います。
ちなみにその時ボクは会社のコにおみやげとして八角堂のクリームパンを8個程持ってたのです。
コレが後に良い仕事をする事になるのです。
携帯は基本的に使えないので、延々と無言で歩く事3時間。
やっと見覚えのある景色が出てきたので半分くらいは進んだと実感して、そこで初めて家に連絡が出来ました。
携帯じゃなくって、コンビニにある公衆電話で。
災害時に使えるように出来ている事のありがたみが本当に身に沁みたのをものすごく覚えています。
幸い自宅には大きな被害はなかったらしいので一安心したんだけど、ここから更に3時間程あるいて家に着いたのは23時を過ぎた頃と記憶しています。
さっきのクリームパン、途中でお子さん連れの人が道端で休憩してたんで良かったら、って差し上げました。
正直知らない人からもらったクリームパンなんか食べるかどうかはわからないけど、少しでも元気になって頑張ってくれたならそれでよかったのではないかと思います。
そして家に着いて一休みした所でヨメから今日の出来事のあらましを聞く事になるのですが、それが衝撃すぎて。
夕方から6時間以上の情報がボクにはなかったので。津波の事なんか全く知りませんでした。
その時既にたくさんの方が被害にあってしまった事も、これからの復旧のメドが全く立っていない事もまだその時はどこか遠くの国で起こった事の様な感じでした。
遠くの国だからいいって意味じゃなく、身近で起こったっていう現実感が全く無かったのです。
一夜明けてからのニュースでは様々な被害情報が流れていました。
地盤沈下、液状化現象、そして福島第一原発のメルトダウン。
いよいよ厳しい状況になっている事が突きつけられてしまうのです。
ボクの会社も家も、知り合いの職場もみんな大変だった事は否定しないけど、それでも直接的な被害にあってしまった方に比べたら全然大したことない。
ボクはボランティアも出来ていないし何かを誰かの為にしてもいないけど、この出来事を忘れないでおく事くらいしか出来ないけど、本当に本当に頑張りたい。
頑張って欲しい。
風評被害を扇動するバカとか大した影響もない地域にいるくせに食料を買占めするアホとか、そういう人に対してはムカつく事すらしない。
ただただ悲しいだけです。
後半は感情にまかせて一気に書いてしまったんだけど、言いたいことはいっこだけです。
ホントに頑張りましょうね。
ボクなんかなんの力にもなれないけど、もし出来る事があったら全力出すから。。
その他の出来事
平成23年の流行語
平成23年のヒット商品
平成24年(2012年)
前年の大きな災害の爪痕がまだまだ残っている平成24年。
生活の基盤や環境が大きく変わってしまった方々はメチャメチャ頑張ってる。
直接の知り合いではないけど、福島で被災してしまった友人が物凄く前向きに頑張っているという事を当時のアシスタントのコに聞いて、少しだけ泣いてしまったのはココだけの話。
復興庁が発足
2020年までの期限を設けて、東日本大震災の復興を円滑、迅速に行う事を目的として設立された行政機関。
一口に「復興支援」って言っても扱う案件は山積みで、支援が必要な被災された方はたくさんいらっしゃいます。
具体的な被災地の復興に向けての動きは、防災対策やまちづくりを再検討しながら、道路や港湾などのインフラ復旧整備、学校や公民館などの復旧工事、住宅や仕事を失った被災者への支援、医療・福祉や社会経済活動の再生などを進めていくことが必要です。
それには国と各地方自治体、各部門間が連携して事業を進めることが重要で、垂直・水平的な調整が求められる。
こうした被災地の復興に関する基本計画を策定し、政策の統一を図るための調整を担当する事が復興庁の一番の役割となるんです。
東京スカイツリー開業
現存する電波塔としては世界一の高さ(634メートル)のスカイツリー。
人口建造物としても、ドバイにあるブルジュ・ハリーファの828メートルに次ぐ第二位です。
名称の決定に関しては、一般公募の中から有識者会によって、「東京スカイツリー」「東京EDOタワー」「ライジングタワー」「みらいタワー」「ゆめみやぐら」「ライジングイーストタワー」の6つに絞られて、その後インターネットを通じた投票の結果、『東京スカイツリー』に決定したんです。
必殺技みたいな名前も候補にあったんですね。
「くらえ!ライジングイーストタワー!」とか言ってみたかった。
建築途中、たまたま近くに行ったので見上げてみた事もあります。
そしてボクはスカイツリーがとても良く見える地域で働いていて、自宅からも30分くらいで行ける距離に住んでいるのに、未だ中に入った事はないのです。
いつでも行けると思うとなかなか行かない説。
その他の出来事
平成24年の流行語
平成24年のヒット商品
平成25年(2013年)
身内ネタで恐縮ですが、この年にボクの妹が結婚しました。
すぐに家を買ったらしく、実家の近くだというので行ってみた所、なんとボクの友達の家の跡地でした。
小学生の頃しょっちゅう遊びに行ってた住所に自分の妹が住むという。
さらにお隣さんはボクの中学生の時の彼女の実家。
なんだ、この狭いコミュニティ。
猪瀬都知事が5000万円受領問題で辞任
最後の方のグダグダ答弁しか覚えてないですね。
持ち帰る時に使用したカバンを資料として提出したんだけど、札束に見立てた紙の束がなんと入らない。
猪瀬さん自身で「入るっしょ」って押し込んだんだけど今度はファスナーが閉まらない。
コントみたいだった記憶しかありません。
無理やり押し込んで底が抜けるとかしたらカンペキ。
なぜそのサイズのカバンをセレクトしたのか、なぜリハーサルしなかったのか、そんな所に頭が回らないほどパニくってたのかな。
ドラマから流行語が続出
「じぇじぇじぇ」とか「倍返しだ」とか。ウチのムスメのこの頃にはある程度理解してきたみたいで。
「早くかたづけなさい!」⇒「じぇじぇ!」
「そんな事したらオシリたたくぞ」⇒「やられたらやり返す。倍返しだ!」
みたいなやりとりが我が家でも連日行われていました。
なにこのミニコント。
富士山が世界文化遺産に登録
っていうか、今まで登録されてなかったんだ。っていうのが第一印象です。
歴史的にも日本の象徴として日本人の山岳信仰だったり、葛飾北斎らの浮世絵の題材にもなったり、文化的意義が高いという事が評価されたのです。
元々は世界自然遺産としての登録を目指していたんだけど、ゴミの問題とか環境的な部分で本来の自然が保たれていないという理由で方向転換。
富士山が登録された事によって、日本の世界文化遺産は13件となり、4件の自然遺産と合わせ、日本の世界遺産登録は合計17件となったのです。
正式名称は「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」
その他の出来事
平成25年の流行語
平成25年のヒット商品
この期間は大げさでも何でもなく、日本という国の真価が問われたんじゃないかって思うんですよ。
実はあの日の帰り道、一生懸命歩いて帰ってる人の脇をアホなガキが車で暴走してたんだけど、大人たちが団結して静止してました。
普段は電車の中とかでカバンがぶつかっただの足ふんだだの、険悪になるみたいなマイナスイメージが先行するオッサン達がですよ。
それとか、ボクの知り合いのギャルチーム、今までは自分の事しか考えていない様なワガママムスメ達も率先して被災地に向けたお手伝い(ボランティアって言うほど大げさな物では無いから、あえてお手伝いとしておく)を文句ひとつ言わずにやってたり。
少なくともボクのまわりでは、日本はまだまだ良くなるぞっていう確信を得る事が出来ました。
なんだかキレイな事書きすぎてアレなんで、今回はこの辺で。
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