国内では景気に踊らされたり、海外では歴史的な出来事があったり。
波乱の幕開けと言ってもいいくらいのテンションで始まった平成の時代。
第2ステージはどんな感じだったのでしょうか。
平成6年(1994年)
今活躍してるアスリートさんが多く生まれた年だったみたいです。
大谷君に藤浪君。羽生君もこの年。大豊作ですね。黄金世代ですね。
ちなみに、まゆゆとぱるるも同じ年らしい。
あんまり知らないけど。
ゆののはもう少し早く生まれてます。
松本サリン事件
ちょっと軽く書ける話題ではないので引用で勘弁して下さい。
1994年(平成6年)6月27日に日本の長野県松本市で発生したテロ事件。警察庁における事件の正式名称は松本市内における毒物使用多数殺人事件。オウム真理教教徒らにより、神経ガスのサリンが散布されたもので、被害者は死者8人、重軽傷者660人に及んだ。戦争状態にない国において、サリンのような化学兵器クラスの毒物が一般市民に対して無差別に使用された世界初の事例であり、同じくオウム真理教による地下鉄サリン事件を除けばその後も類が無い。無実の人間が半ば公然と犯人として扱われてしまった冤罪未遂事件・報道被害事件でもある。その背景には、ずさんな捜査を実施した警察とマスコミのなれ合いがあったとも言われる。
毎日新聞では坂本堤弁護士一家殺害事件、地下鉄サリン事件と並んでオウム「3大事件」と表現している。
猛暑と水不足
前年は記録的な冷夏だったんだけど、一変してこの年は記録的な猛暑に見舞われました。
梅雨明けからお盆くらいまでの間、40度以上の最高気温が全国3か所で観測されるという事態に。
大分では22日間連続の猛暑日、8月には都内でも39度が記録されたらしいです。
そして水不足。
この猛暑に加えてそもそもの降雨量が少なかった(梅雨時の降水量が例年の半分程度)こともあって九州から関東くらいまでのエリアが深刻な水不足になってしまいました。
ボクが住んでるエリアは多少の給水制限はあったかもしれないけど断水までは至りませんでした。
でも九州、四国地方ではかなり厳しい給水制限も行われた様です。
工業用水も然り。
工場の稼働もしばらくの間停止せざるを得ない状況だったと記憶しております。
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プレステ出たときは衝撃だったなあ
平成7年(1995年)
決して忘れてはいけない重大な災害、事件が発生してしまうのです。
阪神・淡路大震災
ボクの生きてきた中では直接的に大きな被害を受けた災害っていうのは無いんだけど、この震災はかなり衝撃的でした。
大学のツレにはそっち方面の出身も多くいたし、何より被害の映像を目の当たりにして、言いようのない恐怖感が身体の変な所からゾワゾワ溢れてきたのを思い出しました。
6000人以上の方が亡くなってしまったこの震災、その後東日本でも大きな震災が起きてしまう事になるのですが、ホントにホントにやるせない気持ちでいっぱいです。
地震や火災、そういう直接的な物が一段落した後も、ライフラインの復旧に時間がかかったり交通網がマヒしたり、被災した方々の御苦労はボクなんかがこんな記事で軽く書くことは不可能だと思うんです。
推測とかエラそうな事を言うのは簡単だけど、したくない。
本当の事を発信できるのは実際に経験した人じゃないと無理だから。
地下鉄サリン事件
すごく記憶に残ってるんだけど、学生だったボクはいつもの様に午前中は自主的に待機(サボリ)にして家でダラダラしていました。
で、夕方頃にバイト先へ向かう途中で街がザワザワしてて。
その時はこんな事になってるなんて知らずにバイト先に着いたらみんな青い顔してた。
実はボクのバイト先って、いくつか被害にあった駅の内の1つから2駅しか離れていない所。
ソッコーでバイト先のテレビで速報とかをみんなで見てましたね。
その時点でもまだ被害の大きさっていうか事件の重大さは把握しきれていなくて、毎日の様に流れる地下鉄サリン事件のニュースを見る度に何とも言えない気持ちになったのを覚えています。
宗教団体のオウム真理教によって、帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)で営業運転中の地下鉄車両内で神経ガスのサリンが散布され、乗客及び乗務員、係員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという世界にも類例のないテロリズムであり、世界的に大きな衝撃を与えた。
出典:地下鉄サリン事件
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平成8年(1996年)
政治の世界でもちょっとした変化がありました。
第一次橋本内閣成立
自民、社会、さきがけの3党の連立政権。
「自社さ連立政権」って呼ばれてたんだけど、どうもしっくりこなかったです。
特に「じしゃさ」の所。早口言葉かよって。
”住宅金融専門会社問題”と沖縄問題”という「負の遺産」を引き継いでしまった橋本さん。
発足当初の国会で住専処理に財政支出を盛り込んだ予算案に対して与野党が激しく対立、その結果内閣支持率も右肩下がりになってしまう事に。
だけどもう1つの沖縄問題では普天間飛行場返還をアメリカと電撃合意し、見事に外交上の成功を残すのです。
これでなんとか内閣の求心力は高まって、この沖縄問題に一応の目途をつけたところで、9月27日に衆院解散を断行。
その後の投開票の結果、28議席増の239議席を得て橋本首相は続投をする事になったのです。
社民党、新党さきがけ、新進党らの一部議員により、民主党結成。
キャッチコピーは「市民が主役の民主党」
菅直人さん、鳩山由紀夫さんの共同代表制としてスタート。
ちなみに2016年まで存在した民主党(現在は民進党として引き継がれている)とは厳密には別政党。
結成当初は、橋本内閣への対応姿勢があやふやと指摘されて、与党(よとう)でも野党(やとう)でもない『ゆ党』と評される事もあったみたい。
ウマいこというなあ。
菅さんが当時の内閣で厚生大臣だった事もあって、基本的には協力体制をとっていたみたいだけど。
アトランタオリンピック
すごく覚えてる。「マイアミの奇跡」。
ブラジルに勝っちゃったよって。
伊藤選手は多分今でも自慢してるんだろうなあ。
あとはヤワラちゃん(田村亮子選手)が決勝戦で相手のトリッキーな作戦(道着を左前に)にやられてしまい惜しくも銀だったり、有村裕子選手が2大会連続のメダルを獲得したり、日本もなかなかやるじゃんって上から目線で見てた記憶があります。
ギャル、コギャルの発生
渋谷を中心、女子高生たちを中心として大ブームになったファッション的な。
ミニ履いて厚底履いて眉ほそーくしたら完成するらしい。
前の年あたりから発生はしていましたが、安室奈美恵さんの大人気にのっかって「アムラー」と称される種も存在していた。
生物学的に書こうと思ったけど難しいからやめますが、決して嫌いじゃなかったですよ。ギャルって呼ばれるコ達。
中身は結構しっかりしてるコが多かったイメージがあります。
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ボクの周りの女子もアムラー多かったなあ
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平成9年(1997年)
いい話題があんまりない年です。
暗い話題ばっかりでアレだけど教訓に少しでもなれば。
神戸連続児童殺傷事件
今の時点で未成年の人は実感ないと思うんだけど、ボクも家庭を持って子供もいる今の環境に置き換えてみると悲しくて切なくて。
当時14歳の中学生による連続殺傷事件がありました。
別名『酒鬼薔薇事件』『酒鬼薔薇聖斗事件』とも呼ばれる痛ましい事件。
色々調べて端的にまとめようと思ったんだけど、見れば見るほど吐き気が止まらなくなったので断念。
申し訳ないのですが下記リンクで。
消費税の増税、5%に
増税を決定したのは前の村山内閣。
実行したのは橋本内閣。
それまでの3%から5%にあがるという事で消費者の駆け込み需要が非常に多くみられたのです。
特に白物家電が顕著でバブル期(10年程度前)に購入した物の買い替え時期だった事も後押しして、洗濯機だったり冷蔵庫だったり電子レンジだったりが売れまくったらしい。
冷蔵庫の国内出荷数はまさかの536万台だって。
そういえばウチの実家も買い換えてたと思います。
大手金融機関の破綻
北海道拓殖銀行破綻、山一證券が相次いで破綻。
バブル崩壊の影響が大きいのです。
北海道拓殖銀行は、都市銀行としては戦後初で2018年現在、破綻した唯一の銀行。
バブル崩壊に伴って、拓銀の不良債権も急増。
その後週刊誌等にも「危ない銀行」として名指しされるなど、法人だけでなく小口の一般預金者からも不安視されるようになってしまいます。
そして資金の調達が困難になり遂に営業の譲渡を決断する事になるのですが、ここでもすんなりといかずに利用者の不安は倍増していきます。
同年11月に正式に破綻する事になるのですが、実際に全ての清算が完了して登記簿が閉鎖されるのは2006年の事なのです。
また、山一證券の場合は、バブル経済崩壊後の株価下落で被った巨額損失を別会社につけかえて決算から外す「飛ばし」による簿外債務の発覚や資金調達難が引き金。
店舗や社員の一部は米メリルリンチが引き継いだのですが、その後大幅なリストラが行われます。
旧経営陣は、粉飾決算を繰り返していたとして証券取引法違反などの罪で起訴される事に。
最終的には99年6月に東京地裁から破産宣告が出される事になるのですが、この破綻はいわゆる「平成不況」の象徴として語り継がれています。
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平成10年(1998年)
節目の10年目。暗い話題が先行している平成の時代。少しは明るい話題にスポットを当ててみたいと思います。
FIFAワールドカップフランス大会
やっと、というか遂にというか、日本が初めてのワールドカップに出場します。
次回(2002年)は日本での開催(韓国との共同開催)が決定しているので、出場実績の無い国での初開催という不名誉な記録はなんとか回避出来ました。ちなみにこの不名誉な記録は既に次々回の開催国であるカタールが当確になっています。
予選途中でのチームの不振から加茂監督が解任されて、コーチだった岡田さんが監督についていたんだけど、最終メンバーの発表はみんなドギモ抜かれたのです。
「外れるのはカズ、三浦カズ」
まさかの大決断。
確かに最終予選の後半は途中交代もあったのでもしかしたら感はあったんだけど。
ここまで日本でのサッカーに貢献してきた国民的スターを外すというのは尋常じゃない勇気が必要だったんだと思います。
「勝つためにヒールになる、コレで負けたら日本には帰れない」みたいな覚悟で決めたって話もありました。
そんなワールドカップですが、少しは期待はしていたんですよ。
下馬評では下から数えた方がはるかに早かったけど。
予選グループの相手はアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカ。
岡田さんの目論見としては1勝1敗1分での予選突破を狙っていたんだけど結果は残念ながら3戦全敗という事で幕を閉じました。
日本のワールドカップ初ゴールはジャマイカ戦での中山の意地のゴール。
そしてこの大会で中田英寿選手が世界に羽ばたく事になるのです。
横浜フリューゲルスが横浜マリノスとの合併により消滅
サッカーつながりでもう1つ。
Jリーグ発足時から存在していた「横浜フリューゲルス」が運営の継続が困難になり消滅する事になりました。
母体は全日空と佐藤工業、発足当時は「ASフリューゲルス」という名称でした。
まず佐藤工業の経営悪化の影響で、そして全日空も同じく赤字の為の経営見直しを迫られる事になってしまいます。
チーム自体は決して弱くないし、サポーターも少なくない。
ピッチの外でも大人気だったモネールだったりフリーキックがハンパなく美しかったエデューだったり、後に代表などで大活躍する楢橋、前園、あとコロコロPK遠藤ヤットさんも在籍していました。
最終的な方法として、同じ横浜に本拠地を置くマリノスと合併。
「横浜・F・マリノス」というチームになると言う事が正式に発表される事になるのです。
フリューゲルスの選手、サポーターは抗議して合併を撤回させようとして「フリューゲルスを存続させる会」を立ち上げる事にするのですが、決まってしまった事が覆る事はありませんでした。
ここからボクがメチャメチャ鳥肌たった話。
リーグ戦が終了してしまい、横浜フリューゲルスとして残された戦いは天皇杯のみ。負けたら終わりという状況の中、なんとなんと決勝戦までコマを進めるのです。
決勝の相手は清水エスパルス。
どちらも初優勝をかけた気合の入る中、当初フリューゲルス内では、この後の移籍先が決まっていない選手のアピールの場にしようかという話もあったみたいです。
だけどそれよりも”強いフリューゲルスを最後に見せようぜ”という意見でチームが一丸となり、見事に優勝してしまうという結果を出したのです。
どうですか、この漫画みたいな一連の流れ。
当事者の選手とかサポーターの方には申し訳ないんだけど、メチャメチャカッコいいじゃん!って感動してのを思い出した。
あと、エンゲルス監督の「ダレデモイイ!タスケテクレ!」っていう悲痛な主張も鮮明に覚えています。
その他の出来事
平成10年の流行語
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平成第二期(6~10年)も若干暗い話題が多かったというイメージですね。
だけどスポーツだったりエンターテイメントだったり、元気づけられる出来事もたくさんあったと思います。
どうしても暗いテーマの方が記憶としては残りがちなのは仕方ないのですが。
ではまた。
次回(平成11年~15年)に続きます。
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