ネットはノンストレスが一番。 https://t.co/jzz5Bk1G71
— ゆーの@ざっしょくラボ (@noritama77777) 2018年9月14日
ネットの世界で何かを発信するという事は、それだけ人の目に付く事も多くなるという事で。
良くも悪くもネット上での繋がりっていう物が少なからず出来てくるわけで。
共感してくれる仲間だったりアドバイスくれる先輩だったり、普通に生活していたら触れる事のない様な人達と繋がりを持てるって実はすごい事なんじゃないかなって思います。
ただし、多くの人の目に付くという事はポジティブなイメージで繋がれるだけとは限らない。
有名になればなるほど逆パターンの方が多くなるような気がしないでもないのです。
ネットで何かを発信するのであれば、ある程度のメンタルは鍛えておいた方がいいんじゃないかなっていう話。
まあ、ボクには大した交友関係はないので良い方も悪い方もそれ程経験がないのですが。
低脳のblog
このブログを始める前に別のブログをやっていた事があって。
今では完全放置で更新も何もしていないんだけど、ある日突然コメント欄に投稿があったという通知が入ったのです。
珍しい事もあるもんだと確認してみたら…..
低脳って言われた
確かに思い当たるふしが無いわけじゃない。
まだブログ書き始めたばかりの頃、ただ思いつく事を書きなぐってただけの記事だし。今自分で見ても残念なブログとしか思えない物だし。
ただ、面と向かって(正確には面と向かっていないけど)disられた事は初めての経験なので、ちょっとだけ凹んだのも事実。
ネットの世界では批判は普通にある
不特定多数の人が接するネットの世界では、自分の発信した内容に対して色々な意見が飛び交うのは極々普通の事で。
その意見の中には賛同とか共感とか応援とか、そういうポジティブな物だけでなく、批判や指摘、もっと厳しい物になると中傷やただの文句みたいなネガティブな物もあるのです。
ポジティブなご意見はマジで嬉しい物だし、そういう中から自分と同じ方向に向かっている人と繋がれるっていうのはネットならではのメリットだと思います。
普通に生活してたら絶対に知り合う事の無い様な有名な人、リアルな仕事関係だけだったらよっぽど運がないと気が付けない様な発見、いいじゃないですか。
一方でネットの世界には自分と同じ考えの人ばかりではないという事も揺るぎない事実。
だから批判や批評という反対の意見も飛び交うのです。
ネガティブな意見をもらっちゃうと凹んでしまいがちなんだけど、気にし過ぎるのはなんか違うかなって思うのです。
批判された時の心構え
ネガティブな意見にはどういう対処をしたらいいのだろうか?
ボクは
あんまり気にしない
くらいのスタンスでいようと思ってます。
「あんまり」っていうのが結構微妙な感覚で、ネガティブコメントを完全無視するというのはちょっと違うかなと。
ネガティブってひとくくりにしちゃってるけど、その中には本当に自分の為を想ってくれるアドバイスもあるだろうし、自分でも周りが良く見えていない時に選択肢を増やしてくれるきっかけにもなるケースだってありそう。
無条件にホメたり持ち上げたり、そういうのじゃなくて。
おかしいなと思ったら指摘してあげた方がいいし、悩んでたり困ってたりしたらアドバイスの一つでも。
そういうのが理想のネット生活じゃないかなってマジで最近思う。
周りにイエスマンばっかりいたら成長出来ないし。
的を得た批判やご意見はありがたく頂戴するべきだと思いますよ。
中にはキツイ言い方もあると思うけど、そういう意見に対して凹んだりする必要はないんじゃないかなと思います。
要するに頂いた意見の本質を見極める事が重要って感じ。
批判というか批評というか暴言というか
批判って言っても、正しい批判もあるわけで。
それを丸ごと無視してしまうのは少し危険だと思います。
上で書いた様に自分を正しい道に導いてくれる批判も絶対にあるから。
さしあたってココでいう「批判」っていうのは、ネットの匿名性をタテにして自分は安全な物陰から攻撃だけしてくるような生産性の無い(っていう程中味はないんだけど)「暴言」的なものとします。
ブログだったりインスタだったりツイッタ―だったり、そういうネット上の発信量が多くなれば、こういう意見や批判は増えていくと思います。
色んな価値観を持っている人がいて、自由に発信できるのがネットの良い所でもあるから、批判撲滅運動をするつもりは全然ありません。
ただ、その度に凹んだり反論したりするのはマジで時間がもったいないなあって思うのです。
っていうか単純に疲れる。
必要以上にマジにならないほうがいいよ
最初に出したボクへの低脳コメント、正直に言うと凹みはしたけどそれ以上にちょっとだけムカついた。
なんで会った事もないヤツからそんな事言われなきゃいけないんだって。
コメント返しで反論してやろうかとは一瞬思ったけど、結局ヤメました。
多分反論したらしたで相手もエキサイトするだろうし、そうなった時に不毛な言い合いが起こる可能性を考えたらメンドくさくなって。
そもそもそのブログ完全放置している物だし。
逆によく見つけてくれたなと。逆にすごいなって。
だからボクの中では傘持ってない時に急に雨が降って来て濡れちゃったぜ、くらいな出来事として終わらせています。
誰も得しないし、無視しておけばいいんじゃないかなと。
批判される理由
とはいうものの、なんにもない所から批判されるっていう事は考えにくい物でして。
こっちは何の気なしに言った一言のどこかが誰かのスイッチに触れてしまう、という事は十分にあると思います。
え、そこ食いつく?っていう人もいるから。
だけど自分の意見を押し通しすぎたり、他人を意味なく貶めていたり、ネットとは言え相手に対する敬意を払えない様なものは批判されても仕方ないと思います。
中には批判するエサを求めて徘徊している様な人もいるし。
批判⇒炎上⇒注目を狙ってるのかもしれないし。
だから余計な摩擦を生まない為に、このブログではあんまり口の悪い言い回しが出ない様に少し意識していたりします。
おんなじ言葉でも、リアルで話す時のニュアンスと文字にした時のニュアンスでとらえ方が違うから。
ネットでトラブらない為に
昔から読ませてもらっているブログがあるんだけど、どちらかというと口の悪さをウリにしている感じで、チョイチョイ荒れてるんですよね。
まあそこは本人了承の上、というか本人の狙い通りの荒れ方なんですけど。
ただ、外から見てる立場からするとあんまり楽しくないなって思う事もしばしば。
構図としては、煽り気味の記事に対してどこかからかアンチが発生、アンチのコメントを管理人がバッサバッサと斬っていく、みたいな感じ。
大体エキサイトするのはアンチの方で、煽られた挙句に汚い言葉とか捨てゼリフとか、後味の良くない結末になる事が多くて。
まあ、これはトラブルっていうよりも演出的な意味合いが強いので、当事者たちが良ければそれでいいんだけど。
最近ではブログに限らずTwitterとかでもトラブルのニオイがするTLが目に付く事も多くて。
アレ、他人事ながらちょっと心配で。
メンドくさそうだなって。
筋の通った意見も多いから見てしまう事が多いけど、自分からその輪に参加しようとは思いません。
メンドクサイもん。
自分の意見を押し付けないこと
ネットの書き込みっていうのは、ある意味自分の主張を大きな声で言える場所。
言い終わるまで(ENTER押すまで)は横やりが全く入らないから言いたい事が100パー言える訳で。
「オレはこう思うのになぜオマエ達はこうしないんだ」
とか
「アタクシの意見に賛同しないなんてバカなの」
とか
自分の意見を押し付ける様な書き方はヤメた方がいいかなと。
自分のブログ記事ならまだしも(それでも十分に批判対象になる可能性は十分にあるけど)、ツイッタ―の返信とかブログのコメントとか、そういう所で自己満足な意見を押し付けるのは見ていてあんまりいい気分じゃない。
するとどうなるか。
批判されるんですよ。
不毛なバトルがはじまりかねないんですよ。
メンドくさいからやめときましょう。
コレは反論あるかもなーっていう種類の意見を言う時には、
「○○○というのは良く聞く話ですが」
「一般的には○○○と言われていますが」
みたいに逃げ道を作っておくのも良い方法ではないかと。
言いたい事も言えないこんな世の中じゃ
ポイズン
一度批判されてアンチコメントをもらってしまうと、書く事や発信する事が怖くなってしまう事もあるでしょう。
だからといって逃げたり隠れたりする必要はないと思います。
確かにいい気持ちはしないしメンタルにも影響は出るかもしれない。
だけどちょっと考えて欲しい。
どうでもいい記事や意見には批判さえ来ないんですよ。
批判されるという事はそれだけ他人の目を惹いてたから。
それだけ個性がにじみ出ていたから。
それだけ意味のある事を発信していたから。そういう事。
必要以上に怖がったり構えたりするのは時間がもったいないからやめときましょう。
企業のオフィシャルサイトだったらまだしも、ブログもTwitterも個人発信のメディアである以上、自分の言いたい様に書きたいようにすればいいんじゃないでしょうか。
ただし「自分の言った事には責任を持つ」という事は忘れない方がいい。
コレが出来ないとただの文句ブーブーおじさんになってしまうから、そこだけはちゃんとしておきましょう。
自己防衛も時には必要
最近ツイッタ―が楽しくて。
ツイ廃ってこの事か、ってなんとなく分かってしまうレベル。
よく絡ませて頂く方たちとのやりとりはマジで面白いし気分転換にもなる。
自分にとってプラスになるご意見も頂けるし、逆に自分の言った事で喜んでくれる人がいるし。
でもそういうのだけじゃないのも事実。
誰かが誰かを攻撃する、それを取り巻きが煽る、他の誰かが反応して反撃する、関係のない人にまでネガティブ意見が飛んでしまう。
毎日の様に見かける光景だから珍しくもなんともないし、それ自体を否定するつもりもありません。
正直に言うと、賛同できる意見も結構あるから経過が気になる時もある。
だけどそういうメンタルじゃない時もあるのです。
そんな時どうするかは分かりきった事で。
見ない。
それだけで解決だから。
これこれ。
まだボクは2割くらい反応してしまうので後からちょっと後悔する事も。
そっ閉じ&リリースでいいよね。
ノンストレス目指しましょう。 https://t.co/J5oQizpsZT— ゆーの@ざっしょくラボ (@noritama77777) 2018年9月18日
そういう自己防衛も時には必要かと。
気にしすぎはメリットないよ
不特定多数の人が自由に発信するネットの世界では、その自由さが時には不便で不快な物になる事も。
ボクは気にしいなメンドクサイ傾向があるので、自分が仲良くさせてもらっている人と自分が苦手だなあって思ってる人がいい感じに絡んでるのを見るとモヤモヤしてしまう事もあるのです。
直接絡むのはもちろん、TL見てるだけで面白い人達がいて。
逆に、言ってることに共感できないからフォローもしてない人達もいて。前者と後者がなにやら仲良くやりとりしてるのを見てしまった時のモヤモヤ感。
適切な名称はないものだろうか。— ゆーの@ざっしょくラボ (@noritama77777) 2018年8月30日
ボクは
『メンドクサイ男の束縛』
と名付けています。 https://t.co/dnIhfhb4X0— ゆーの@ざっしょくラボ (@noritama77777) 2018年8月30日
ハッキリ言って誰にもメリットがない。まあまあのメンドクサさ。
気にしすぎるのって疲れるし、生産性のかけらもないし、これこそ無駄以外の何物でもない。
誰と誰が仲良くて、みたいなのを気にするのは学生で卒業するべきだと反省。
ノンストレスなネット生活の為に
所詮、っていう言い方が適切なのかどうか分からないけど、ネットが全てっていう訳ではないから。
変なストレスを感じるのはあんまり意味がないと思います。
みんな楽しみとか嬉しみとか、そういうポジティブな付き合い方をしたいと思っているはず。
その為に。
・頂く意見には耳を傾ける
・批判と意見は違う
・見たくない物は見ないという選択肢も必要
このあたりを意識すればストレスの少ないネット生活になると思います。
で、結局何が言いたかったんだっていうと、
ボクは褒められて伸びるタイプなので、もっともっと褒めてくださーーーい
(最後に台無し)
ではまた。
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